幸福と幸福を感じること


給与等の処遇を低く抑えて、長時間労働で従業員をうまく使って業績を伸ばしているのが、新興企業の一つのパターンのように見えます。

歴史のある企業は、その割り切り方が新興の若い経営者達ほど徹底できずに、コストカットの面では遅れをとりやすくなるようです(遅れていた方が従業員には良いように思いますが)

大手企業には労働組合もありますので、従業員の合理化などの面では、新興企業と比べると後手後手になりやすいと言えるでしょう。
後手後手の方が従業員にとっても良いと思われる方も多いでしょうが、労組の機能は、時代の波にさらされるのを一時的に緩和するだけの場合が多く、時間の経過で一層事態(従業員が意志決定したりする面で)が悪くなることもあります。

そういう意味では、環境変化の激しい時代の労働組合は、組合員に存在価値を認めてもらうのが大変難しいと思います。
他方、組合員の方達は、労組は自分達を守ってくれるという意識を持てないという方も多いでしょう。しかし、組合の役員は時代の流れと企業間競争の厳しさを考えれば、また、組合員の将来を考えればこそ、経営者の視点を持たざるを得なくなると思います。それゆえ、雇用者の身分保障と経営的観点との板挟みにあい、まともな人ほど心身を痛めることになってしまいます。
そうはいっても、組合員が労組に求めようとするハードルは高くなりがちですので、組合役員への不満は容赦ないものになるでしょう。

以前、新興企業の静岡支店に勤務していた時は、東京は終電が遅くまであるため、東京勤務の同じ部署の仲間は、0:00過ぎでも普通に電話に出ますし、営業は23:00頃から事務所に戻り出してミーティングを行っていました。
静岡勤務の私はそこまでつき合うことは少なかったのですが、自宅に帰ってから深夜に呼び出されることも珍しくありませんでした。
新興企業の特徴かもしれませんが、社員はみんな寝不足気味で、出張の時の新幹線の中は貴重なお休みタイムでした。車の運転時は危険でしたが。

その会社で驚いたことの一つは、会社で文房具を用意してくれないことでした。増収増益の会社が、そういうところをケチるのが不思議な感じがして東京の社員に訊ねると、新興企業では当たり前だそうで、ライブドアなどもそうなんだとか。私は、そんなものなのかと思いました。
新興企業の若手経営者はドライに物事を考えられるのだと思いましたが、その後、地元の比較的古い企業に入ったら、そこでも同じでしたので、それまでが甘かったのかもしれません。

その会社は月に一度東京で納会を行いましたが、以前は(以前と言っても創業7年目の会社でしたが)、成績不良の社員を屋形船から川に突き落とすこともあったそうです(同業他社の屋形船が川から竹ざおで引っ張り上げて、助けた男を社員にしてこき使うという、一風変わった業界でした)
鼻の骨や肋骨を折られる社員もいたりで、今から考えるとブラックだったのでしょう。誤解されそうで人には話せないことがたくさんある会社や仲間でしたが、仕事はハードな面がありましたが、面白みもありました。

こういうブラッキーな企業と比べると、
歴史ある企業で、福利厚生がしっかりしている企業、給与も悪くない企業に勤務している人達は、文句なしの満足感に満ち溢れ、幸せを感じるものでしょうか。
幸福感を感じるかどうかは、仕事のやりがいや処遇とはまた違ったところにあるように思います。
恵まれているように見える人が、恵まれていなければ感じようもないストレスで、心身をすり減らしてしまうケースもあります。

恵まれている筈の国民の目に生気がなかったり、自殺者が多かったり。
物理的な待遇の向上の先に幸福があるわけではないようです。