焼酎の話

タイを数十回も訪れ、危険な目にも遭ったことも楽しく話してくれる知人が、今日はトゥクトゥクの模型を4点ほど見せてくれました。
稀少なものなので、あまり見せたくないと言いながら、とても嬉しそうに皆に見せてくれました。


ところで、沖縄の泡盛タイ米を原料にしているのは良く知られていますが、タイとの往来があったとはいえ、何故わざわざタイから沖縄まで原料米を運ばなければならなかったのか。
不思議には思っていましたが、この程度の疑問をそのままにしてしまっていることは、他にもたくさんあります。日常に流されて確認もせず、既知と思っていることを実は何も知らないまま、その上に乗っかってエラそうにしているのが日常になってしまっています。

この知人が、今日この疑問に面白い見解を示してくれました。
熊本の芋焼酎なども、焼酎は琉球(沖縄)から伝わったようだというのです。それでは琉球へはどこからきたのかというと、それがタイからだと言います。ここまでは、日本でもわりと有力な説のようです。

知人は、日本で飲まれている焼酎の原料米は短粒種なのに、タイ米は長粒種なので、日本の焼酎がタイから伝わったものというのは納得できなかった言います。
しかし、後から得た知識が彼の考えを変えました。
アユタヤの遺跡から、短粒種米が見つかったそうです。
琉球に焼酎が伝わった頃にはタイでは今の日本と同じ焼酎を作っていたことが推測されるからです。アユタヤでは今でもマンゴスチンなど珍しい焼酎が作られているようです。

アユタヤで短粒種米が作られていたのに、なぜ今ではタイ米は長粒種米なのか。インドから伝わったといわれている長粒種のインデイカ米にタイが転換していくのは、タイのカレーや、チャーハン、ピラフ類に長粒種の方が合っているからのようです。
インデイカの中にも短粒種があったようですが、アユタヤで作られていたのが、どの種の短粒種なのかに興味が出てきます。まさかジャポニカ種だったなどということがあったら・・・、それはそれで面白いことになりますが。

もっとも、アユタヤではインデイカの長粒種の他に短粒種も作られていたということであって、日本には焼酎は製法のみ伝わった。琉球は日本本土と比べればまだ近いので、製法と原料米が渡り、長粒種が原料として栽培されるようになったということも考えられなくもありません。

考え出すと、興味は尽きなくなってしまいますが。