西部劇の魅力(8):Soldier Blueの世界

カナダのネイティブアメリカンとして知られているバフィー・セントメリー。
日本でも「サークルゲーム」が大ヒットしました。私も良く聞いた曲ですし、今でも自分のiPodに入れています。
このバフィー・セントメリーの曲に、ソールジャブルー、ソールジャブルーというリフレインが耳に残る、「ソルジャーブルー:Soldier Blue」という曲があります。私は曲調が変わっていくこの曲にはついていけなくて、馴染めないポップスという印象でした。


アメリカの西部劇で一つの大きな転機となった映画が、「ソルジャーブルー」です。
若き日のキャンディス・バーゲンが主演でしたね。
私は、映画を見るまでソルジャーブルーというとバフィー・セントメリーの特徴的な曲を連想していました。

さて、自分はこの映画を見た時に、キャンディス・バーゲン扮するヒロインの態度に、何となく違和感を抱いたのを覚えています。
それは丁度、自分の気持ちに合わないままにどんどん転調していく、バフィー・セントメリーが歌うソルジャーブルーの曲を聞いている感じなのです。
こっちの感情を置き去りにして、勝手にそっちだけで盛り上がらないで欲しいんだけど。という、スタートラインに立った時の知識が圧倒的に少ない人間のぼやきが、自分の当時の感情の元になっていたと思います。

何故違和感を感じたのかというと、ヒロインがシャイアン族に共感を寄せていたからです。
何故、騎兵隊を襲撃して殺してしまうような乱暴なシャイアン族にヒロインが肩を持つのか、どうも自分の感情にしっくりいきませんでした。
人道主義的正義感の強い方は、こんなことを言うと眉をひそめるでしょうが、私は映画を見始めて暫らくすると、正直なところ、この映画はあまり出来の良い映画ではないな、などと生意気ながら思いました。

人間は他人に助言を受けようとする場合、自分の考え(自分の感情にとらわれているバイアスのかかった考えの場合が圧倒的に多いと思います)は既に固まっていて、その自分の考えを肯定し支持してくれるような人の助言を受けようとする場合がほとんどだと言います。
それはそうですよね。自分の考えを批判して撤回させようとする人に相談などする気も起きませんから。
それゆえ、楽な方、自分に味方をしてくれる方、自分を甘やかしてくれる方・・・へとなびいていく場合が多いでしょう。
同様に、人々の慣習や常識に基づいた感情を敷衍するような映画やドラマを作ることが、娯楽物は特にそうですが、ヒットさせるための重要な要因の一つに思います。

恐らく、当時のアメリカには、ネイティブアメリカンへ対応してきたことの評価を再考すべきではないかという空気が充満しつつあったのではないかと思います。
ネイティブアメリカンへの旧弊な固定観念と、評価を見直すべきとする考えとが、天秤で釣り合いを取るぐらいになりつつあるところに、「ソルジャーブルー」という天秤の錘が、評価を見直すべきとするお皿の上に乗せられて、一気に存在感の重さを示すことになったのではないかと思います。

しかし、その当時ベトナム戦争での膠着状態がなければ、楽天的な現状肯定型が多いように思えるアメリカ人達は、ソルジャーブルーのような作品にあまり目を向けなかったかもしれないと思います。
また、著名な監督であれば、自分の作品が評判を得るであろうタイミングを見計らって製作する時期を考えるでしょうから、もし、アメリカが望む形でベトナム戦争終結することができていれば、ソルジャーブルーでなく、強いアメリカ礼賛の映画を製作していたかもしれません。

実際は、戦線は泥沼状態で、息子達を送りこんでいる善良なるアメリカ国民の間には厭戦気分が満ちていたといいます。
当時、ベトナムでのアメリカの対外姿勢を見直すべきという考えは、音楽の世界でも蔓延していました。反戦歌は色々な所で歌われ、反戦厭戦的な曲はジャンルを超えて広がっていました。
これは日本にいても感じたことで、それまで反戦的な曲など歌わなかったアメリカの歌い手が、アニュイな厭戦的な曲調のものを出すようになったり、CCRの曲が放送禁止になるらしいという話を聞き、それまで歌詞を気にもしないで聴いていたのに、英和辞典で歌詞の意味を調べ出したことなどもありました。

いずれにしろ、アメリカの行ってきたネイティブアメリカンへの仕打ちを白日にさらすことで、戦争の欺瞞性を国民に気付かせ、ベトナム戦争は終わりにしてくれという気持ちを大きな声にして、為政者達に訴えるという意味合いもあったように思います。

それはそれで、評価すべきこととは思うのですが、ネイティブアメリカンに対しては、アメリカ国内ではいろいろと立派な文献もあります。事実の発掘はそれほど難しいことではないように思います。
日本の先住民族大和朝廷との軋轢は1000年以上も前に遡ります。客観的資料を探そうにも、そもそも記録自体が乏しいでしょうから、検証できないことが多いと思います。しかし、アメリカの場合は百数十年前のこと。
見たくない物は見ないという態度を取らないのであれば、良心的アメリカ人にネイティブアメリカン抑圧の史実は開かれています。
もっとも、ある程度の年数を経ないと客観的に眺め、議論することができないという面はあるでしょうが、他方では年月は事実も風化させ、でっちあげ史実をはびこらせるということもあり、難しいことではあります。


映画「ソルジャーブルー」の最後の方に、1864年に起きたサンドクリークの大虐殺の様子が展開されていきます。
あまり出来の良い映画ではないと思って見ていた私は、その場面を見て衝撃を受けました。
これはフィクションではないのかもしれないと思いました。
遅ればせながら、この時にやっとヒロインに感情移入できるようになり、製作者の意図が理解できた気がしました。